善立寺ホームページ 5分間法話 R⑲ R7,10,1日

 さわるもの布団木枕皆あつし

 残酷、過酷な夏がやっと終わりましたね。待ちかねていた虫の音すだく秋が訪れました。皆さんは熱中症にも罹らずに無事に10月を迎えられましたでしょうか。

冒頭の句は、正岡子規の俳句です。子規は、日清戦争に従軍の帰途に喀血、病床に臥し、明治36年9月18日、36歳の若さで亡くなりました。エアコンも扇風機もなかった時代の病床生活は耐え難いものであったと思われます。子規が亡くなって、没後、123年が経ちました。地球温暖化が急速化する現代、123年後はともかく、AIは30年後の地球をどう推定してくれるのでしょうか。

 弱きもの人間

弱きもの人間 欲ふかきもの にんげん 偽り多きもの にんげん

そして 人間のわたし

 この詩は、足利市出身、詩人の相田みつをさんの詩です。

 昔、私が龍大の学生時代に京都の花園大学で、松原泰道(まつばらたいどう)師の講演を聴き深く感動したことがありました。当時、師は臨済宗妙心寺派の僧侶でした。その師が平成6年に『わたしの歎異抄入門』という著書を出版され、そく購入しました。

 その著書の中に、師は相田さんのこの詩について次のように記しています。――相田さんは、「人間」と「にんげん」とを書き分けているのを見て、考えさせられました。私には、漢字のしかつめらしい「人間」にもっともらしい人間の外見を表し、弱弱しい仮名の「にんげん」に、その内面を表象しているように思えます。傍から見る人間は、いかにも”風にそよぐ葦“のようによわよわしく見えます。ところが内面はどうしてどうして、「欲ふかく、偽り多い自我を蔵している」のです。内と外とはまったく異なる、親鸞がもらす「虚仮不実のわが身」(註 こけふじつ 親鸞聖人の言葉 見せかけは立派だか中身が伴わず、自己中心的で偽りの心を持つ自分自身の姿を指す言葉) であり、相田さんがつぶやく「人間のわたし」でしょう。人間はだれもがみな、虚仮の存在です。内に蔵されている好ましくない自我が、いつなんどき何をきっかけにして、何を仕出かすか、自分でありながら自分が当てにならないから、自らを「愚」と嘆くのです。

「いつ、なんどき、何をきっかけにして、何を仕出かすか」わからない自分と、松原師は述懐しておられます。皆さんはどう受け止められますでしょうか。

前回のホームページで、親鸞聖人は、唯円に向かって、「縁が生じたら、人は何をしでかすかわらない存在だ」と記しましたが、ここで、今回の本題について触れることにします。

 唯円は親鸞聖人のお弟子さんです。その唯円が鎌倉時代の後期に、師との問答を記した名高い書が『歎異抄』です。作家の吉川英治は「歎異抄旅に持ち来て虫の声」と俳句にしています。旅に出るときは、いつも持ち歩いていたと言われています。哲学者の西田幾多郎は「無人島に一冊持ってゆくなら歎異抄」、兵庫三木市生まれの三木清は「万巻の中から、たった一冊を選ぶとしたら歎異抄」と言い残しているなど、昔から高名な書物です。名高い書なのに、難しく理解しがたい内容なので、多くの学者や作家、知識人たちがそれぞれの味わい、思いを記しているので、数十冊の『歎異抄』が刊行されていいます。わたしは20冊を超える歎異抄を所有しています。

 昔、私が住職に就いて以後、多くのご門徒さんや友人や知人から、理解しやすい、読みやすい、お薦めの歎異抄は?としばしば尋ねられました。ご参考に数冊紹介します。

①ひろさちや『わたしの歎異抄』(すずき出版)――原文の後に意訳、そのあとに筆者の味わいが記されています。

②五木寛之『歎異抄の謎』(祥伝社新書)――「私訳の歎異抄」の後に原文歎異抄。私訳が特徴。つまり、原文の意訳ではなく、読み手に理解されやすいようにおおまかに訳しているので読みやすい。

③本田顕彰『歎異抄入門』(光文社ブックス)――前半に歎異抄の本質、人間の愛と仏の慈悲について記し、慈悲に甘えるなと、現世の悟りについての作者の思いが記されている。後半のページの上段に原文、下段に現代語訳がしるされているので理解しやすい。

④松原泰道『わたしの歎異抄入門』――歎異抄の全文や意訳の全文はありません。ただ、歎異抄の中の数行の引用や重要部分は多く紹介されていて、その語にまつわる多くの著名な仏教学者や知識人の味わいなどが記されていて、聖人のみ教えが理解しやすい書。

⑤高橋源一郎『一億三千万人のための歎異抄』(朝日新聞新書)――歎異抄の全文ごとに、著者の味わいが、難しい仏教語や難解な熟語も全く使わず、新感覚でしかも簡潔にエッセイ風に記されたユニークな「タンニショウ」です。

 今回は、前回に予告していました、親鸞は「因縁があれば、倫理的に絶対の悪であろうとも人間はしてしまうものである」と、弟子の唯円に説いていることについて、次に記します。鎌倉時代に記されたものです。第十三条からの抜粋です。

歎異抄 第十三条 聖人と唯円の問答の一部、大意抜粋

 聖人が、「唯円房はわたしの言うことを信ずるか」と尋ねられましたので、「もちろんです」とお答えしたところ、「では、わたしの言うことに背かないかと」と重ねて問われましたので、慎んで承諾しました。すると、「よろしい。ではまず千人を殺してくれないか、そうすれば浄土往生は間違いないはずだ」と聖人が言われましたので、「お言葉ではございますが、わたしには、とても一人だって殺すことなどできそうもありません」と申し上げたところ、「では、なぜ、この親鸞の言うことに背かぬと言ったのか」と言われました。そして続けて、「それができないというのは、そなたの心が善いからではないのだよ。何らかの縁が生じると人はどんな恐ろしいことでもやりかねないのだ」

と述べています。

このことについて、松原泰道師は、著書のなかで、この箇所の原文「さるべき業縁(ごうえん)のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」とこそ、聖人は仰せ候ひし‥…」について紹介し、親鸞聖人が越後の国に流罪となった境遇を次のように記しています。「親鸞が越後の片田舎へ流されたのが縁で、黙々として働く人の生活を親しく見、またその人たちと接するにつれて、中央の京都では思いもよらない人間の苦悩を、親鸞は体験したであろうと言われています。そして彼の人間観も、さらに自分を見る眼も大きく変わります。親鸞の中心思想は、流罪に処せられた越後の僻地で養われた、といわれるゆえんです。唯円が伝える親鸞の言葉の意味はこうです。どんなに立派な人でも、何かのきっかけで、とんでもない悪事をはたらくものだ。という概念を下敷きにて、世間から疎外され、悪人だとされている人でも、逆に何かの縁で貴族でもできない善根が積める事実を強調していると、私は解します。と。

私は、常づね、鏡でわが顔をみるたびに、しばしば思うことがあります。心の中が写る鏡がないからなんとか暮らしていけると。人から嫌がられることや、煙たがられることは、避けよう、やめようとブレーキを掛けるよう努めていますが、制動装置が効かなくたら恐ろしいことだと。心がCTスキャンのように映るようになったら、恐ろしいことです。

 皆さんは心の中が丸見えに見える鏡ができても大丈夫ですか。

 恐ろしい事件が報道されるたびに、人間はそれぞれに心の中に「闇」を抱えているのではないかと。しばしば思います。

  あなたのお心の中に、「闇」はありませんか。

 私は、闇を破って生きた人を多数知っています。皆さんご存知のお方を一人紹介しますと、俳優の三国廉太郎氏です。昔、神戸別院で開催された三国さんの講演会で聴きました。昔、三国さんは出征、戦場で敵兵と銃撃戦で戦いましたが、戦争とはいえ、人殺しは絶対にしないと、敵兵には向けては発砲せず、つねに空に向けて発砲していたそうです。上官にバレたら、味方から殺されるかもわからないのに‥…。

三国さんが敬い慕った人は親鸞聖人でした。三国さんは著書『白い道 法然、親鸞とその時代』を記し、さらには『親鸞・白い道』を企画、制作、脚本、監督を務め、カンヌ国際映画会で審査委員賞を受賞しています。「人間は、何をしでかすかわからい」と戦って生き抜いた方でした。

 自分は泳げないのに、川や海に飛び込んで、溺れる人を助けようとして命を落とした人も多数います。ホームから線路に落ちた人を助けようと、線路に飛び降りて亡くなった人もいます。

 損得の行為でもなければ、名誉欲などでもありません。なんとか救いたいという咄嗟の行動は、仏心そのものです。

 仏教には「二河白道・にかわびゃくどう」という教えがあります。煩悩に満ちたこの世界と極楽浄土の間に存在する極楽浄土へいたる信心の道が白道です。二河は「水の河」です。水の河は人間の貪り・むさぼりを表し、「火の河」は人間の怒りを表します。どらの河に落ちてももがき苦し苦しむことになります。白い道から脱線しないように転落しないようにする方法があります。それは、「我執がしゅう」から抜け出すことです。「我に囚われている生活、自己中心の暮らしから抜け出す」しか方法はありません。

 人間は、毎日、毎日、一度は鏡で顔を見ますね。何度も見る人もおられることでしょう。見るたびに、心の中に汚れはないか見てみましょう。放置しておいたら、汚れはひどくなり、手に負えなくなります。毎日毎日、顔を洗い、週に何度か体を洗うように、ときには、「にんげん」の心も洗うように努めましょう。

 次回は12月15日頃に発信します。寒暖の差が大きくなる時期です。体調管理にご留意されてお過ごしください。

  

白鶴山 善立寺

兵庫県北部但馬の地にある善立寺は、全国でも珍しい数珠掛け桜で有名なお寺です。コウノトリも舞い降りる山と田園に囲まれた地にあります。

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