善立寺ホームページ 5分間法話 R⑱ R7,7,5
気象庁は1日、6月の全国の平均気温は平年より2,34度高く1898年の統計開始以降で最も暑かったと発表した。梅雨明けは平年より20日以上も早く、本堂や庫裏、山門、離れの客間の屋根の大きな石州瓦は灼熱状態で境内は焦熱地獄化している。寺は、「本日臨時休業します」と、張り紙を出して、どこかへ避暑にも行けず気か滅入る日々である。このホームペ-ジを読んでいてくださる方はご年配の方が多いだろうと推察すると、お互い、熱中症予防に万全の対策をして乗り切りましょうとねと、まず、申し上げます。
今回はまず『納棺夫日記』について紹介します。
32年も前になる1993年の3月であった。豊岡市内の行きつけの本屋の新刊コ-ナ-でこの書籍が目に止まった。私が僧侶でなかったら気に止まらなかったであろうと思い続けている。当時は「納棺」「湯灌」という言葉はあったが、「納棺夫」という言葉は辞書にもなかったからである。心惹かれて手にして最初の数行を目にしただけで即購入した。寝食も忘れて読み耽った。爾来、この書籍は、全文暗記できるほどに読み込んでいる。
著者は富山県入善町生まれの青木新門(しんもん)氏である(2022年8月に85歳で逝去)。ご参考に氏の略歴を紹介します。氏は、早稲田大を中退後、富山市内で飲食店を経営していたが、放漫経営で倒産、大きな負債を抱え極貧生活に陥っていた。以下に記す「 」内は、その書籍からの引用文である。
第一章 みぞれの季節 「小銭も底をついた頃、妻が長男を生んだ。そしてドライミルクを買う金がないという。ある日、激しい夫婦の喧嘩の折、妻がわめきながら投げつけた新聞が畳に落ちた時、なぜか求人欄が目に止まった。<新生活互助会社員募集>とあった。住所がアパートの近くでもあったので、どんな仕事かわからぬまま面接に出向いた。玄関を開けると、入り口にお棺が積んであった。とんでもないところへ来たと思ったが、ドライミルクためのアルバイトだからと、意を決して入っていった。」と、就職の動機が最初に記されている。
しばらく読みすすめると、「私が父母に連れられて旧満州へ渡ったのは四歳の時である。終戦は八歳であった。現地で生まれた四歳の妹と一歳の弟は、収容所で次々に死んでいった。弟が死んだ時は、母と一緒に死体を焼いている仮の火葬場に置いてきたが、妹が死んだ時は、母が発疹チフスに罹って隔離されていて、私一人で妹の遺体を抱えて、母が弟の遺体を置いたところへ置いてきた。誰もいなかったが誰か焼いてくれだろうと置いてきただけである。夕方、気になって見にいくと、手を伸ばした妹の遺体がそのままになっていた。その硬直した白い手と赤い夕陽け空だけが今も脳裏に焼きついている。昭和二十一年十月、運よく発疹チフスが治り生き抜いた母と引き揚げてきた。父は、シベリヤ戦線に向かったまま音信はなかった」と、自身が八歳の時に弟と妹の死と関った悲惨で衝撃的な過去が記されていて心が痛んだ。深夜、日付が変わっても取り憑かれたように読み耽けった。
「職業に貴賤はない。いくらそう思っても、死そのものをタブ-視する現実がある限り、納棺夫や火葬夫は、無残である。」「死をタブ-視する社会通念を云々していながら、自分自身その社会通念の延長線上にいることに気づいていなかった。社会通念を変えたければ、自分の心を変えればいいのだ。心が変われば、行動も変わる。」
第二章 人の死いろいろ 「人は誰もが、死ぬときは美しく死にたいと思っている。しかし美しく死ぬとはどのようなことなのかはっきりしない。苦しまないで死ぬことなのか、格好よく死ぬことなのか、どのような状態を指すのか明確ではない。」「この地方の葬儀は、八十パ-セント以上が浄土真宗で執り行われる。だからと言って浄土真宗の敬虔な信者が多くいるとは言えない。ほとんどが、家族の誰かが死亡するまで、門徒であるということさえ自覚したことがないといった状態なのである。他人の葬儀では、数珠を持って手を合わせるが、阿弥陀仏を信じて称名などもしたこともない信徒たちなのだ。にもかかわらず、死者の顔はみんな同じような安らかな相をしている。死んだままの状態の時などは、ほとんど眼は半眼の状態で、よくできた仏像とそっくりである。
「『歎異抄』に<善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや>という親鸞の有名な語句がある。学生の頃から、親鸞の思想など理解もしていないのに、この言葉は何か快いものを感じたものである。」「如来や菩薩の眼から見れば、善人悪人などあろうはずがなく、ただ自我中心の悲しい人間と弱肉強食の生の世界があるだけかも知れない。」「親鸞は、因縁があれば、倫理的に絶対の悪であろうとも人間はしてしまうものである』と唯円に説いている。(註―『歎異抄』は親鸞の弟子・唯円が鎌倉時代後期に記した著書であるとうのが定説になっている。―この言葉については、次回に少し詳しく触れたいと思っています。)「我々は、自分の立っているところを基点に思考したり言葉を発したりしているわけで、例えば善悪を云々する場合でも、自分は善人であると思っている人と、自分は悪人であると思っている人とでは、そのスタンスが違うため、善悪の様相も違ってくる。特に我々が生死を云々する場合、<生>にスタンスを置いての一方的な発言であって、<死>にスタンスを置いての発言は有り得ない。しかし、釈尊や親鸞は、生死を超えたところから言葉を発しているような節がある。それはどんなところからかということになるが、善悪や生死を超えた第三のところで、生と死や善と悪などが両方とも見えるところでなければならない。いつの間にか、そんなことを考えながら、死者の顔をみるようになった。
『納棺夫日記』は、毎日の出来事や感想などを記した内容ではない。著者が納棺夫の職についた数年後に、大学ノートにメモ風に記した日記を探し出して読んだことが発端で書かれた作品なので、”日記”と付いている。いわばエッセイ「納棺夫」である。その一部を紹介します。「x月x日」曇り 初めて納棺をした。初めてなのに運悪く、大きな頑丈な死者でひどく硬直していた。汗ばかり出て、二時間もかかった。とにかく緊張して、疲れた。 X月x日 みぞれ 叔父がきた。親戚の恥だと言いやがった。仕事を変えなければ、絶縁だと言って帰って行った。殴ってやろうかと思った。――「ともあれ過去の日記を読み返しているうちに、何と真剣に生きていたのだろうかと思った。頻繁に<今日は疲れた>と書きながら、常に宗教書か哲学書などを読んでは考えている。死体に毎日触れながら、死とは? 死後の世界とは? という命題に向かって真摯に思考する姿があった。すると、あの納棺夫時代の日々が鮮明に思い出され、いつのまにか筆を持っていた。書き進むうちに、やはり過去に悩み苦しんだ同じ所に立っていた。途中で投げ出したいことも度々あったが、親鸞が最も重きを置いた<二種の回向>の真実に、ある日ハット気づいた時から筆が進み、いっきに書き上げることができた。(以上の引用は増補改訂版『納棺夫日記』の中の『納棺夫日記を著して』からの抜粋です。
第三章 ひかりといのち 三章には親鸞の思想や浄土真宗の教えに関する内容が記されている。浄土真宗では日常のお勤めは寺院も門徒宅も『正信念仏偈』(略して『正信偈』)を読経している。浄土真宗の立教開宗の根本聖典は親鸞聖人が著された『教行信証』である。その中の精髄箇所を(1句7文字、120 句の漢文表記にされた偈=げ 讃歌)が『正信偈』である。
冒頭の二句は「帰命無量寿如来」(きみょうむりょうじゅにょらい)「南無不可思議光」(なもふかしぎこう)である。意訳すると、「阿弥陀如来、寿命と光明とが限りなく、いつも、いかなるところにもまします阿弥陀如来よ。わたしはあなたを信じ、依り処として奉る。」となる。本願寺では、昭和23年、蓮如上人の450回忌法要の際、広く人々にみ教えが理解され伝わりますようにと願い、意訳してリズムある讃歌にした。冒頭の二句は、「ひかりといのちきわみなき 阿弥陀ほとけを仰がなん」と表記された。
青木新門氏は、その冒頭の二句を第三章のテーマとしたに違いない。思考に思考を重ねて、信心の世界に導かれた喜びが凝縮された章であることを人々に伝えたいと思われたのだと推測できる。「光と命」ではなく、「ひかりといのち」と全文平かな表記で記された章を目にしたとき、『真宗勤行集』に記載されている通りに正確に記されていて、氏の造詣の深さと信仰心の篤さ、そしてこの章の内容が察知できた。
一箇所引用しますと「親鸞がこの<ひかり>を不可思議光と名づけた通り、この光に出合うと不思議な現象が起きる。まず生への執着がなくなり、同時に死への恐怖もなくなり、安らかな気持ちになり、すべてを許す心になり、あらゆるものへ感謝の気持ちがあふれる状態となる。この光に出合うと、おのずからそうなるのである。」と記している。
三章は、親鸞聖人の他力本願のみ教えが中心で、簡潔に引用するには、非常に難しいので断念します。信仰心が篤かった小林一茶の生き方や俳句、金子みすゞの人生や童謡も記されているので、皆さまには、ぜひ書籍でお読みになってくださいとお薦めします。
もし、お読みになっておられない方で、関心をお持ちになられたお方がありましたら、図書館で 単行本の定本『納棺夫日記』と
文庫本の増補改訂版『納棺夫日記』
の二冊を借りて併読されることをお薦めします。単行本には氏の自選詩や短編小説が掲載されている。文庫本には『納棺夫日記』を著わしてという納棺夫当時のさまざまな思いが記されている。更には「あとがき」が二か所も掲載されている。そして、作家・高史明氏の「光の溢れる書『納棺夫日記』に覚える喜び」と題した評が記されていて、作品理解に非常に役立つと思われます。
本題に入ります。
戦争や紛争、人殺しなど目を覆い、耳をふさぎたくなることが報道されない日は皆無ですね。組織化、訓練された集団で人を騙したり殺して金を奪うことが日常茶飯事のように発生していますね。行政機関においても検察・司法機関までもが事件を捏造、無実の人を逮捕しています。また、戦争、紛争を企てる国家の指導者もいて、心が凍りつく日々です。
死刑になりたいと言う動機で人を殺す事件も多発しています。恐ろしい殺人事件が報道されない日はありません。事件が発生すると報道記者は街行く人や関係者にインタビューします。殺人を犯した人の中には、地域社会の人々からの信頼も厚く、慕われていた人格者もおられ、到底信じられないとインタビューに答えた人も過去多数いました。
私は、そういうとき、しばしば思うことがあります。それば、人間は、大なり小なりみんな心に「闇」を抱えて生きてきている動物なんだということです。
皆さんにお尋ねします。「あなたは善人ですか?」「あなたは悪人ですか?」‥…。
私が同じ質問を受けたら、即、「悪人です」と返答します。
人それぞれの立ち位置によって考え方に違いが出てくるでしょう。法律的上、犯罪歴がなければ、「善人です」という人もいれば、犯罪を犯していなくても、心に闇を抱えていたり、我執に捉われている自分に気づいておられる方は、「悪人です」とお答えになるかも知れません
私自身は、我執に捉われ、煩悩の中にとっぷり浸かって暮らしています。阿弥陀様の教えを敬い、「和顔愛語」や「少欲知足」をこころがけていても、阿弥陀様のひかりに導かれないと自力では往生できない「悪人」です。
親鸞聖人は、唯円に向かって、「縁が生じたら、人は何をしでかすかわからない存在だ」と言っています。詳細は次回に記します。『納棺夫日記は』は映画化され「おくりびと」として大ヒット、アカデミー賞を受賞しました。映画化に奔走したモッ君こと、俳優・本木雅弘氏と青木新門氏のエピソードもできれば次回に紹介します。
熱中症アラートが発令される日々です。睡眠、栄養、水分補強に怠りなく過ごしましょう。次回は10月1日ころに発信します。
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