善立寺ホームページ 5分間法話 R⑯ R7,1.15

新年初のホームページにようこそ。きょう15日は小正月、「松の内」が終わります

から、「遅ればせながら」明けましてましておめでとうございますと申し上げます。

ご清福で喜びの多いお年となりますよう念じ申しあげます。

 皆さんはどんなお正月を過ごされましたでしょうか。一月の和風月名は「睦月」です。私は数字の年より意味が込められている和風月名が好きで、手紙などではよく使用し

ています。お正月には、離れて暮らしている家族が里帰りされたり、親族が集まり睦び親しむ月を表す言葉で、暮らしの和みが感じられます。

 今回は、寺の元旦の様子や大晦日の暮らしなどを中心に記します。

 元日、5:30分には起床、まずお仏飯をお仏前にお供えします。冬の本堂は天井が高く床下も高く、周囲の壁にも隙間が多いので冷凍庫状態です。7個の灯油ストーブに点火しても、温かい空気は天井近くにとどまっているので、身体は震えながらのお勤め

です。読経中に温まることはありません。喉の乾燥防止にマスクは欠かせませんが、吐く息でマスクがすぐに濡れてしまいます。手もかじかみますので、手袋を付けての読経です。

 浄土真宗の元旦のお勤めは、平常は『正信偈』ですが、多くの寺は、『現世利益和讃 げんぜりやくわさん』を読経します。念仏者がこの世において受けるお念仏の広大な利益・りやくの数々を讃えられた内容の和讃です。しっかりと味わいながらお勤めします。

読経が終わっても、堂内のストーブは参拝にこられる方のため、少しでも暖かくなるようにと点火したままです。

読経が終って家族揃っての朝食ですが、実に慌ただしい食事です。参拝者がお焼香されるのに、まず豆炭5個にガスコンロで火を付けます。5個を香炉の中に入れないと1日持たないからです。庫裏の仏間に暖房を入れ、参拝者記録帳を準備しつつ、豆炭を香炉に入れると、早い参拝者は7時には見えます。それからは続々と年始のご挨拶、参拝者の方々がこられます。寺族は座ったまま年始のご挨拶をいたします。トイレに席を立つことはありますが正午までは座ったままのご挨拶が続きます。

寺の年始は”睦月”であるとしみじみ感じることがあります。ふだんは自宅を離れて都会で生活しておられる方が参拝に見えます。お嫁さんを迎えられたお宅ではご紹介を兼ね、また初孫さんのご披露を兼ねて参拝される方もあります。長く病んでおられた方が回復されて参拝にこられることもあります。一家全員が揃ってお参りにこられる宅もあれば、かならずご夫婦揃って参拝されるお家もあります。

善立寺には、小坂校区内の長泉寺、西宗寺、そして町内の西方寺や豊岡・浄福寺のご門徒さんも多く参拝に見えます。寺と門徒の繋がりを大切にしていただいていますことは、まことに有難いことであると感謝しています。参拝の方のピークは10時から11:30の間です

つかの間のご挨拶しかできていませんが、温かい睦の時間が流れていますことは実に、嬉しいことです。生かされていることをしみじみと感じさせていただく元旦です。

 師走の行事について記します。

 12月の月の和風名は「師走」(しわす)ですね。師とはお坊さんを指す説が有力です。この月になると多くの家庭で法事が行われ、お坊さんがせわしく走り回ってお参りされることから名づけられました。昔、農家の人にとって農閑期は12月でしたから、師走の法事は多くありました。昨今は、農家の方に限らず、法事を勤める家が増加しています。まず第一は、1月、2月にご先祖が亡くなられたご遺族の方は、積雪や寒気厳しい時期に親戚の方を招いて勤めることを避け、年内に法事を繰り上げられる家が多いことです。第二は、いろいろな事情があって、ご先祖の命日前後に法事を勤められることができなくて、年を越してしまわないように、年内に勤めをされるご家庭もあるからです。

 師走は、お参りの法務のほかにも仕事がいっぱいあります。下旬になると建物や広い境内の掃除、降雪で樹木の枝が折れないように支え木を立てたりします。年末前には、いくつかの医療院に行って薬の確保もしておかなければなりません。

 毎年のことですが、29日は豊岡の花屋さんに行って本堂や庫裏のお仏壇、床の間のお花を購入、花生けをします。その作業だけで半日かかります。30日の午前は、お鏡餅が届けられます。ご門徒さん宅でお餅も製造されておられる方が、丹精込めた作られた餅米で作られた大きな鏡餅です。午後は、そのお鏡餅のお供えお飾りをします。本堂と庫裏の仏様、庫裏の床の間の仏様の前10箇所にお供えします。結構時間がかかります。重ね餅を正しく傾かないように重ねないと、餅の上に置く蜜柑が転げ落ちてしまうのです。

 お鏡餅のお供えが終わると、次年度のご門徒宅の年回忌の札を、年回忌ごとに順に本堂の中に張り出します。最終作業は、本堂や庫裏の8個の灯油ストーブに給油して、新年を迎える作業は一段落です。ご参考に記しますが、次年度のご法事があるお宅では、お正月に年回忌札を見られる前に、年内にご法事の予約をされるお宅も数件あります。

元旦に参拝されて、ご法事があることを知られた方の数人は、帰り際には、いつも、迷うことなく予約して帰宅されるお方もあります。ご法事は、できることなら、故人様のご命日前か少し前にお勤めされることが理想的です。

 年末の大仕事は除夜の鐘撞です。鐘は「梵鐘=ぼんしょう」という名の大鐘です。

数は108打です。この数字は、仏教の教えに基づいています。人間の煩悩(ぼんのう=悩みや苦しみなど、苦悩の数が108あることに依ります。

 正しい撞き方があります。一打ちして、ほぼその余韻が消える前に次の鐘を撞きます。正確な間隔を空けて打つと45分かかります。10年前までは11:15分から撞きはじめ、最後の一打が新年になるようにしていました。正確を期するため、打数を間違えないように碁石を108個を傍に置いています。打数を厳密に守っていない年もあります。打ち終わったあとに駆けつけてこられた方もありますので、ご希望の方には追加打ちも認めています。寺のご近所の方で、寝床の中で、鐘の音を数えておられた方の話を聞くと、

去年の鐘は130打ありましたといこともありました。一打一打をかみしめながら数えておられたんだなぁと胸があつくなったこともありました。

 私が小学生のときのことです。ときは太平洋戦争の真っ只中でした。不足した武器の金属を補うために国から金属回収命令が出され、寺の鐘も供出しました。父が病気で入院中でした。供出のときの記念写真が残っています。本堂前の中央に大鐘が安置されていて、その梵鐘には紅白の布が掛けられています。私が梵鐘前の中央にいて、祖母と母が両側に写っています。門徒の方々4、50人が神妙な面持ちで並んでおられます。その梵鐘が荷車に載せられて寺を出発した記憶は残っていますが、近くの出石鉄道の機関車に載せられたものかどうかなどの記憶はありません。

 供出後、梵鐘が必ずしも武器にならなかったことも成人してから知りました。野原の中で、兵隊さんの便器にも使われていたこともあった写真を眼にしたことがあり、実に複雑な思いをしたこともありました。

 戦後になり、門信徒の方々の厚いご支援が実って、梵鐘の鋳造地として名高い高岡市の梵鐘会社に鋳造を発注、その鐘が現在、鐘楼の中に吊り下げられています。二階建ての鐘楼に吊り下げられています。二階建ての鐘楼は極めて珍しいことです。梵鐘の脇には13段の木製の梯子段が設置されています。梵鐘の高さは、125cm、直径は75cm。梵鐘には108個の突起物が出ています。この突起物は「乳」(にゅう)という名です。前述したように、108は、人間が抱えている煩悩(人間が抱えている悩みの数)を表す数です。梵鐘の下から25cmの位置に直径12cmの円型の「撞座」という鋳物が周囲より

浮きだしたように鋳られてます。

 正しい梵鐘の打ち方は、撞木の紐を握って勢いを付けて前後に振って、撞座の中央に撞木が当たればよい響きの音色が響きます。欲を出して力まかせに打ってもよい音色は響きません。力の強い男性が上手であるとは必ずしも言えません。

 撞き方の方法をご参考に記しましたが、最も大切なことがあります。それは撞き方ではありません。

 最も大切なことを次に記します。「除夜」の文字の中にその回答が記されています。除夜の「除」に心してください。「除」は、心の中に巣くっている迷いを除くという言葉です。仏さまの教えは、悩み苦にしている迷いの心を捨てることが救われる道に通じると示されているのです。

 多くの人は考え違いで、一打すれば家族安全、一打すれば商売繁盛、一打すれば無病息災、と、欲望まみれの心で打たれているのではないでしょうか。

たとえば、医療関係の職業に携わっておられる方が、商売繁盛を願って、打たれとします。その一方で、別の方は、無病息災と願われて撞かれたとします。そんな矛盾する願いを叶えてくれる神が存在しておられるのでしょうか。雨が降って儲かる商売もあります。雨が降ったら儲からない商売の人もいます。それぞれの人の勝手な、自己本位な

欲望を叶えてくれる神がおられることはあり得ません。鉾と盾が両立することはないのです。

除夜の鐘撞は、一打するごとに、こんなことに捉われて苦しみ悩んでいたと、一つ

一つの煩悩に捉われていた心に気づき、その捉われの心から抜け出そうとする心が、鐘撞の心として大切なことです。そこに除夜の鐘撞の意味があります。多くの苦悩の問題解決は難しそうですが、実は、決して困難なことではありません。108持っている、108抱えている煩悩を減らすところにあるのです。つまり多欲を減らして少欲にすればよいのです。「少欲知足」は、お釈迦様の大切な教えであります。

 年を取ることは寂しく、悲しいことも多くありますが、多くのものに恵まれ、多くの目に見える人も目に見えない人からも支えられ見守らてくらしていることに気づくことが大切なことであると感じています。

 過日、目にした新聞でシンガーソングライター加藤登紀子(81歳)のエッセイが心に残りました。つぎに、加藤さん流の生の極意の一部を紹介します。

 「ひざの不調は筋力でカバーすべく日々の自主トレを欠かさなくなった。頑張り過ぎは逆効果だけれど、日々の暮らしでも諦めないで、ギリギリまで自分でやろうとして見るのも大事だと思う。50歳で折り返してから30年。80歳は第二の成人式と言っていたら、81歳は逆さにすれば、18歳と言った人が言った人がいたから、いいなあと思った。そうすると、91歳は19歳。10年後、自分らしく歌っていられることを目指します。」 同じ紙面の別場所には、登紀子さんのひらり一言が掲載されていました。「何よりの幸せは、誰も憎まずに生きておられること‥…闘いに勝つことでも、仕事に成功することでも、お金を稼ぐことでも得られない幸せ、それは憎しみのない心です」

 素敵な心に残ることばです。ありがとうございました 以前のホームページでご紹介しました童謡詩人・金子みすゞの菩提寺・遍照寺の山門に掲示されていた伝道のことばを再掲します。

  憎い人など誰もいない 憎いと思う私がいるだけ

インフルエンザが全国各地で猛威をふるっているとの情報。皆さま、どうぞご自愛いただいて健やかにお過ごしください。

次回の通信は、4月上旬に桜情報とともにおとどけしたいと思っています。

白鶴山 善立寺

兵庫県北部但馬の地にある善立寺は、全国でも珍しい数珠掛け桜で有名なお寺です。コウノトリも舞い降りる山と田園に囲まれた地にあります。

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