善立寺ホームページ 5分間法話 R⑬ R.6,2.15日更新

令和6年度最初のお便りを差し上げます。

 まず最初に、能登半島大地震で242人もの方々が亡くなられましたことについて、心から哀悼のまことを捧げたいと存じます。罹災されました方々にも心からお見舞いを申し上げます。「人間、一瞬先は闇」という言葉がありますが、祝日の元日に、ご家族が集って団欒しておられるさ中に、地獄を感じさせるような大災害が生じようとは、いまだに悪夢を見ている感じです。余震が治まって、一日も早く道路や水道が復旧し、多くの方の支援の手が届くことを願う日々です。

今回は、「仏心」ということについてお話しいたします。ぶっしん、または、仏ごころと読まれる方もおありでしょう。どちらでもかまいません。では、どんな心が仏心なのでしょうか。仏さまのように慈しみに満ちた心とお答えになられるお方が多いでしょう。熟語として「慈悲」という言葉がありますから、慈悲の心を持つことと答えられる方もおありでしょう。

私は、法座の席では、四字熟語で「抜苦与楽」(ばっくよらく)の心ですと説明しています。この四字熟語を覚えていただけたら有難いと思っています。なぜなら、慈悲の内容がよく理解できるからです。

この語について説明します。「慈」は「与楽・よらく」です。文字どおりに、人々に慈しみ・楽しみを与えるという語です。「悲」は「抜苦・ばっく」です。苦しみを取り除くという意味です。すなわち、接する人々の心に寄り添ってその人たちをいたわり、なぐさめ、励ましてさしあげることで苦悩を取り除いて差しあげるという意味の言葉です。「大」は、大中小の「大」ではなく、阿弥陀如来さまの広大な慈悲を表す言葉です。

 お釈迦様が説かれた『観無量寿経』という経典があります その経典の中に、「仏心とは大慈悲これなり」「無縁の慈をもってもろもろの衆生を接す」とい言葉が記されています。無縁とありますから、縁や繋がりがあるなしにかかわらず、多くの人々に分け隔てなく慈しむ心を差しのべる行為をあらわす言葉です。

 無縁の慈について体験しましたことを次に記します。

私が僧を務めている寺は1959年(昭和34年)、伊勢湾台風で水害に遇いました。寺の近くを流れる円山川の支流である出石川の堤防が決壊して濁流に襲われました。決壊場所は寺から遠く離れた場所でした。しかも幸いなことに決壊箇所の前面には小坂平野と称される広大な農地がありましたので、水位が一気には上昇しなかったので建物が破壊されることはなくてすみました。氾濫の危険が迫ったときご近所のご家族がこぞって本堂に避難してこられました。寺が高台に建っていたわけではありません。庫裏よりも床下が高かっただけで本堂の位置が少し高かっただけです。本堂の建物の屋根が広く大きかったので、住民の方たちは、高い位置にあると錯覚されていたのでしょう。ご参考に記しますが、全国のほとんどの真宗寺院は高台には建っていません。真宗寺院は民家と同じ高さのところに建てられています。近所の民家が浸かると同時に寺も浸かりました。水位は正直で公平でした。庫裏の階下が漬かり次第に水位は上昇、本堂にも浸水、避難者は震えおののきました。更に水位が上がれば、もう逃げ場所はありません。そのとき、消防団の救命ボートが本堂に横付けされて避難者は全員救出されました。

 水位が下がったとき、出石中学校の数十人の生徒さんたちが奉仕活動に駆けつけてくれました。私の妹が中学生で生徒会の役員をしていたのが役立ったのかも知れません。

当時は、まだ、ボランティアという言葉がなかった時代でした。

 家屋は、濁流に襲われたのではなかったので破壊、破損などからは免れました。民家と同様に土壁塗りの建物で、部屋の仕切りは障子と襖の建具でした。板張りの箇所は全くありませんでした。したがって、奉仕活動の主なものは、水に浸かった畳の搬出が主体でした。一枚の畳は6人の大人が持たないと運び出しができない重量で、百枚近い重い畳が搬出されました。他の作業は、床板洗いや障子や板戸洗い等でした。まさに、数は力なりを感じ、そして学びました。その経験から、私は被災地にボランテイアに行くときは、必ず親しい人を数人は誘って出かけています。

 伊勢湾台風から学んだことはまだあります。全国各地からは暖かい支援物資が多く寄せられました。そのとき学んだことの一つは救援物資の中身でした。支援物資の中には大量の缶詰がありました。「缶詰」に助けられました。火がなくても水がなくても箸さえあれば食べられたからです。私は被災地に救援物資を送る際には「缶詰」を選んでいます。今の時代は、缶詰の種類も多く栄養も豊富です。インスタント食品も豊富です。

二度目の水害は2004年(平成16年) の 台風23号でした。伊勢湾台風災害から40年後にふたたび水害に見舞われたのです。

このときは、出石川の上流の堤防が決壊して寺のある鳥居地区は濁流の直撃を受けました。80戸近い家々は全壊または大規模半壊しました。跡形もなく流失してしまった家もありました。濁流に呑みこまれて死者も出ました。

二階に避難していた私たち夫婦は夜が明けると、自衛隊のゴムボートで助け出されました。泥沼に沈んでいるような家と膨大な山林の材木や電柱、破壊された家屋の建具等に埋まっている家を見たとき、私は生きている間に寺は復興ができることはないだろうと思うと茫然自失の状態でした。

被害は膨大でした。40年間に住宅や生活は様変わりしていました。40年前にはなかったテレビ、冷蔵庫、冷凍庫、電子レンジ、炊飯器、オーブント-スタ-、コピー機、エアコン等々、家の中には文明の利器が溢れていました。応接間や廊下、キッチンは板張りになり、壁はクロス張りになっていました。廊下の各所にはカーテンが下げられていました。それらが全部水没、破損、破壊されました。トイレは水洗に変わり、風呂はスイッチを入れると灯油焚きに変わっていましたが、それらも壊れるか故障してしまいました。生活が豊かになったのに比例するかのように失うものも比例して増加していたのでした。

昔あった井戸は埋めて部屋を建て増しし、昔あった竈はなくなりました。伊勢湾の時は町水道が壊れると、井戸水を汲み、竈があったので、裏山に行くと、薪には不自由なくご飯も焚けて炊事ができました。気づけば、年ごとに大切なものを無くしていたのでした。文明の時代は電気や水道がストップするとお手上げなのでした。それが現代です。

 しかし、その窮状から救っていただいたのは、またしてもボランティアの方々の篤い支援でした。

近畿各地から約40日間にわたった374人にも及ぶボランティアの方々が復旧活動に携わってくださいました。床下に潜り込んで全身泥にまみれで泥の搬出に当たられた方もありました。「ボランティア活動には初めての参加です。私にも何かできることはありますか」と尋ねられた方も多数おられました。4日間、車の中で寝泊まりして活動していただいたお方もありました。檀家さんや出石町内の寺院ご家族、親戚・友人らを除くと、半数近いボランティアの方は、ほとんどの方が見ず知らずのお方でした。交通費は自弁、お弁当も自弁、日当もなし、休憩場所もなし。損得の感情もない、無償の尊い奉仕のお姿に接していると胸が熱くなりました。そのとき、ふと胸をよぎる思いがありました。それは、もし、少しでも復旧が叶う日が来たら、せめて報告を兼ねた礼状を差し上げたいという思いでした。それで、参加していただいた方々には、お名前、住所等を参加者名簿に記して帰宅してくださいと毎日お願いして回りました。

師走の半ばを迎えた日、ご門徒さん宅で・畳屋さんの厚意で庫裏に畳が入り、年始の参拝者を迎える見通しがたちました。復興半ばでしたが、奉仕活動に携わっていた方々に、お正月の参拝者に配布しています寺のカレンダーに添えて、報告を兼ねた礼状を差し上げることを思い立って送付しました。参加者名簿を記して貰う思い付きは、よくぞ思い付いたと自らを褒めました。返却されたものは全くありませんでした。それどころか、「参加させていただき、私でもお役に立つことができたことを嬉しく思っています」という内容の礼状が多く寄せられて、また胸がアツクなりました。ご参考に、参加していただいた方に送付しました報告礼状をつぎに記載します。

 台風被災の復旧支援活動をしていただいた皆様へ

 お見舞い等ご奉仕をいただいた皆さまへ

    復旧の近況報告と御礼のご挨拶

 師走も半ばを迎えました。但馬の山野は、とりわけここ出石の山々は、今年は紅葉の美しさや彩りを発揮することもなく秋を終え、木々は落葉し、山河もひどく傷ついたままの荒涼とした光景を見せています。まるで被災者のこころの心象風景を自然の姿が表しているような感じです。

 皆様にかれましては、何かと気ぜわしい日々、ご清祥にてお過ごしのことと拝察しております。

 さて、台風23号で水害被災しまして以降、皆さまにはご繁忙の日程を割き、しかも遠近各地から復旧の支援活動にお越しいただきましたこと、衷心より厚く厚く御礼を申し上げます。

 ボランティア活動には、遠くは和歌山、三重をはじめ遠近各地から374人の皆さま方にご来寺いただき、困難な復旧活動に労をいとわず献身的に努めてくださいました。皆さまの真摯なお心、お姿に支えられてこころゆすぶられる思いで日々を過ごしていました。

 被災から55日が経過しましたが、今も日々、明けても暮れても泥の後始末に追われています。しかし、お陰さまで、先日は庫裏(くり)に畳が入り、まだ建具の入っていないところもありますが、階下での生活を少し取り戻しました。(別棟の離れは床板のみ入っています)。外回りはほぼ大きな整理がつき、昨日(14日)はやっと車庫内に車を入庫させました。このように復旧が進みつつありますことは、ひとえにご支援をいただきました皆さま方のお陰とこころから有難く嬉しく感謝しております。

 「仏心とは大慈悲心これなり」とお釈迦様はお諭しになっています。私は、しばしばご門徒の方々に、「大慈悲心」とは「抜苦与楽」(ばっくよらく)の心とお話しております。まわりの人、接する人の悲しみや嘆き、痛みをともに感じ、その人たちを心から励まし、慰める(抜苦)。自分の楽しみや喜びはあとまわし、まわりの人たちに先に楽しみを与え、喜んでもらう(与楽)。そのことが自分の本当の喜びや幸せに繋がっていく」という意味です。奉仕活動にあたっていただいた方々、物心両面からご支援をいただいた方々は、ほんとうにその心を行動でお示しいただいたと、深く感銘し敬服申し上げております。ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。

 お礼にはとうていなりませんが、ここに喜びの気持ちの一端として、寺名入りの来年のカレンダーを送付させていただきます。ご使用いただければありがたいと思います。

 出石方面にお越しの節は、ぜひお立ち寄りいただき、お声をかけていただければ嬉しく思います。これからは向寒ます季節です。どうぞお身体をご自愛いただいて、風邪など患われることなく、佳いお年をお迎えくださいますよう念じます。

 ここに状況報告を兼ねて御礼のご挨拶を申し上げます。ありがとうございました。ありがとうございました。 合掌

※ボランティア活動に携わっていたたいたお方のお顔はもう忘れていますが、参加者名簿は大切に保存しています。礼状も保存しています。わが家の宝物です。

 

 地震にしても水害にしても自然災害は必ずやってきます。そのとき、この私が、被災者にどう寄り添っていくのかを問いかけることが大事だと思います。そして、私に何ができるのかから進んで、何をして差し上げようかと一歩踏み出し行動に移すこと、それが仏心だと思っています。

 この原稿を書いていますとき、能登鉄道の一部区間ですが、運行が再開され、女子高校生が笑顔で乗車する姿を目にしました。こころの中に春風が吹きました。水道、道路が早く復旧して、支援の人たちがためらわれることなく通われる日が来ますことを願っています。

 次回は5月 15日ころに更新予定です。なお、桜の開花情報は、4月上旬につぼみが膨らみましたらホームページでお知らせいたします。

白鶴山 善立寺

兵庫県北部但馬の地にある善立寺は、全国でも珍しい数珠掛け桜で有名なお寺です。コウノトリも舞い降りる山と田園に囲まれた地にあります。

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