5分間法話 R① (R4.1.15日更新)
新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
詠み人 大伴 家持
大伴家持は(おおとものやかもち)は歌人で、『万葉集』編纂の中心人物です。冒頭の
和歌は、約4,500首ある万葉集の最後を飾る歌としても広く知られています。家持は
当時、因幡の国(現在の鳥取県)の長官を務めていました。地方の役人たちを庁舎に
集めて新年の祝賀の宴を開き、その席で披露した歌であるとされています。
「新しき」は、新しい年、新年という意。「いや」は、ますます、いっそうという
意。「重け しけ」は、重なれの意。「吉事 よごと」は、よいこと、めでたい、とい
う意です。雪は、昔から「吉兆」のシンボルとされていました。歌を意訳すると、
新年を迎え、初春も迎えた今日、降る雪のように、ますます重なれ良いことが」--と
いう意味です。
昨年末から降り出した豪雪は、各地で死者も出て、大きな被害も出ています。今年
の雪は、嬉しい、めでたい雪とは言えません。雪の被害も、コロナ感染も一日も早く
収束し、平穏な「吉事」の日が訪れますことを皆さまとともに心から願いたいと思っ
ております。
今年の最初の法話をお届けします。ホームページに記載します法話は、ページ開設
当初から、小・中学生をはじめ、日常、仏の教えにもご縁が少ない方にも理解して貰
いやすいように記していますことをご承知の上でお読みください。
今回は、「極楽」についてお話しします。
仏教徒で、死後に生まれ変わりたいと願われているところは「極楽」でしょう。
キリスト教徒にとっては「天国」です。仏教徒や日本人の多くの人は、「極楽」はどこ
にあるのかと質問されると、「西の彼方」「西の方角」と返答されるでしょう。なぜで
しょうか。
お釈迦様の教えが説かれている『仏説阿弥陀経』という経典の中にその根拠が記さ
れています。今から約2,500年も昔にインドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)という
う名の場所で、お釈迦様が多くのお弟子さんたちを集めてお話しをされたとき、「従
是西方十万億仏土」-―「ここから遥か十万億も離れた場所に仏さまがお住いの土地
がある。」その場所は名付けて「極楽」という。そこには阿弥陀如来さまがいらっし
ゃる。その国土は何故「極楽」と名付けられたかと言うと、この現世では、多くの
人びとは、いっぱいの苦悩を抱えて暮らしているが、その国土に生まれ変わった人
たちは、一切の苦悩から解放されて、楽しい日々を過ごすことができるのだ。だから
「極楽」と名付けられていのだ、と説かれています。
仏教徒の中には、一日が終わって夕日が沈むころ、西の方角に向かって手を合わせ
て拝まれるのは、西の彼方の阿弥陀如来様に感謝の意を表しておられるのでしょう。
そして、自らも死後はお浄土に生まれ変わりたいという願いも込めて合掌されている
のでしょう。
室町時代に生まれた「一休宗純」(いっきゅうそうじゅん)と言う名高いお坊さんが
いました。多くの人たちからは、「一休」さんと慕われ呼ばれていたお方です。その一
休さんが阿弥陀様がどこにおられるのかを詠まれた短歌がありますので紹介します。
弥陀仏は南にあるを知らずして西を願うははかなかりけれ 一休 宗純
この短歌の中の「南」は、掛け言葉です。つまり、二つの意味を含んだ言葉です。方
角の「南」と「皆身」(みなみーわが身)の意味が含まれています。阿弥陀様は西の方角
だけにおられるのではないですよ。南の方角にも、阿弥陀様を信仰するあなたの身の中、
にもいらつしゃるのですよと、信仰心を持ち、敬う心の大切さをお示しになっておられ
ます。すなわち、十万億土の彼方にだけいらっしゃるのではないですよ、ということを
示された歌であると味わっていいます。
江戸時代の有名俳人「小林一茶」は、父親も一茶もともに浄土真宗の篤い信仰心の持
ち主でした。一茶は、松尾芭蕉、与謝蕪村とともに、江戸三大俳人と称され、「名月を取
ってくれろと泣く子かな」、「我と来て遊べや親のない雀」「やせ蛙負けるな一茶これにあ
り」など数多くの名句を詠んでいますが、阿弥陀如来様を敬う多くの句を詠んでいるこ
とは、あまり知られていません。新年を迎えて、信仰の喜びを詠まれた句を一句紹介し
ます。
弥陀佛の土産に年を拾うかな 小林 一茶
「句意」---はかない命を抱えている中で、おかげ様でまた新年を迎えることができた。よ
くよく考えてみると、このことは、阿弥陀様のお導きで、阿弥陀様のみ教えに会う機会に
恵まれたことなのだと思う。お浄土におられる阿弥陀様へのお土産が増えたと思うとあり
がたいことだなぁ。
寒気厳しい日々です。風邪など患われないようご自愛いただいてお過ごしください。
次回は、3月1日に更新予定です。
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