住職5分間法話(R3.9.1日更新)布施③「無財の七種施」について
前回は、布施の「三種施」について述べました。中でも「無畏施」について、接する人に恐れを感じさせない安心感や安らぎの心を感じてもらえる布施の行為であると記しました。今回は少し詳細に説明します。
『雑法蔵経』という経典があります。その中に「仏説きたもうに七種施あり。財物を損せずして大果報を得ん。」という言葉が出てきます。ここから「無財の七施」と名付けられるようになった、布施をするわが身が幸せになれる「施」について簡単に説明します。
無財の七種施
① 眼施 げんせー常に優しい眼差し、暖かなまなざしで人に接する。
② 和顔悦色施 わげんえつじきせー穏やかな顔、喜びの表情で人に接する。
③ 言語施 ごんじせーやさしい言葉で人に語りかけて接する。
➃ 身施 しんせー身体を使ってできることをしてさしあげる。
⑤ 心施 しんせー常におもいやりのこころで接する。
⑥床座施 しょうざせー接する人に席を喜んで譲る。
⑦ 房舎施 ぽうしゃせー家の中に人を快く招き入れてくつろいで貰う。
皆さんは、電車やバスの中で、見知らぬ人に席を譲られたご経験をお持ちでしょうか。私は、お年寄りや妊婦さんたちに席をお譲りしたことはよくありました。そういうとき、その方たちはたいていお礼の言葉を発しられ、その方が先に下車されるときは、しぐさや言葉で感謝の言葉を述べられました。
そういうとき、その方たちが表情や態度でなんらの態度も示されなかったら、みなさんはどう思われますか。「譲ってあげたのにー」と、不快感を抱かれるであろうと思います。心の狭い私なら、苛立ち血圧をあげていたに違いありません。
もう十数年も前になりますが、宗教評論家・ひろさちや氏の講演を聞きに上県しました。講演の中で氏は席を譲ることは布施であり無償の行為である。
「座ってくださつて有難う」が布施の行為であり、「謝意がない」と腹立ちを感じるのは、「布施」ではないと述べられ、目からウロコの思いを感じました。それが「布施」であり、「床座施」のこころでありましょう。接する人たちの悲しみも喜びも「あけ合う」のが「無財の七施」であり、施す人は何一つ失うものなく、やすらぎや喜び、平穏なこころが味わえるのです。
相田みつをさん(仏教詩人)の詩「わけ合えば」 を紹介します。
うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる
うばい合えばあらそい わけ合えばやすらぎ
うばい合えばにくしみ わけ合えばよろこび
うばい合えば不満 わけ合えば感謝
うばい合えば戦争 わけ合えば平和
うばい合えば地獄 わけ合えば極楽
(次回は10月10日に更新します)
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